終戦直後の食糧難はすごかった。多くの人々が飢えて死んだ。この日(昭和21年5月12日)東京世田谷で食糧不足を訴える区民集会が開かれ、その一部が皇居へ押しかける。いわゆる「米よこせデモ(食糧デモ)」である。
国際法によれば占領地の治安維持と非占領国民の生活保証は占領軍の責任となっているが、アメリカはそんなにお金をかけなかったので(ヨーロッパの占領地のようにはお金を投入しなかった)物資が枯渇してしまった。おまけに国際貿易が禁止されたので食糧輸入も出来なくなる。それに乗じて農村部の食糧売り惜しみが発生し都市部の食糧事情は戦争中より逆に悪化した。
そのあたりの事情は野坂昭如の『火垂るの墓』を読めば分かる。親戚に農家を持たない都市住民の間では無数の餓死者が出た。それを繰り返さないために農水族は食料自給率の向上が大事だと主張するが、間違っている。
当時、中南米やアメリカには食糧の過剰生産があり、地球全体でみれば食糧は十分足りていた。終戦直後の食糧難は、自由貿易が禁止されていたことと、それに乗じて農村での大規模な売り惜しみ(ヤミ取引)が発生したことによるのである。
国産食糧だけに頼る「地産地消」は,農村にとっては結構なことかもしれないが,都市住民にとっては餓死を意味するのである。
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